【お茶の歴史】お茶はいつ、どこで始まり、どのように広まったのか!? お茶の歴史をはじめから丁寧に!!

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世界中でさまざまな形で親しまれているお茶です。

そもそもお茶は、いつ、どこで始まり、どのように広まっていったのでしょうか?

お茶の起源をたどり、世界各地で地の利を活かした茶の産地がどのように生まれたのかを見ていきましょう。

お茶はどこから来たのか?』

お茶を飲むという習慣は、いつどこでどのように始まったのでしょうか?』

今回はお茶の歴史についてやっていきましょう!

【お茶の歴史】お茶はいつ、どこで始まり、どのように広まっていったのか!?お茶の歴史をはじめから丁寧に!!

お茶にはじまりは5400年前!?

お茶がどれほど前に誕生したのかは不明ですが、史書の記述によると、およそ5400年前の中国に存在していたようです。

唐の時代、お茶の神といわれた陸羽の著『茶経』(760年)に『茶は南方の嘉木なり』との一節が出てきます。

また、『紀元前3400年に、農業や漢方の神と崇められていた神農が薬草の効能を調べていた際、毒に当たり、その解毒に茶の葉を口にした』と綴られています。

つまり、お茶に解毒作用があることが発見され、薬として利用することから始まりました。

お茶の発祥は今のところ中国と考えて良さそうです。

その後、漢の時代(前202年~220年)まではお茶は薬として食され、重用されていたことがうかがえます。

2世紀~3世紀頃からお茶は飲まれるようになる

現在のようにお茶が飲料とされたのは、三国時代(220~280年)のことです。

『三国志・呉志』には「茶を以て酒に代える」との記述があり、酒の代わりにお茶を飲むようになっていたことがわかります。

横山光輝氏の漫画『三国志』第一巻では、主人公の劉備が働いて稼いだお金をはたいて母親にお茶を買ってあげるところから始まりますよね。

晋の時代(265~420年)には、安徽省で皇帝に最高級の茶を献上する「貢茶」が初めて行われたとの記録も残存しており、当時、お茶は上流階級の嗜好品として扱われていました。貢茶の製法は、運搬しやすい固形茶でした。

いずれにせよ、当時のお茶はものすごい高価なものであり、お金持ちしか味わうことができないものでした。

中国で広がっていった喫茶文化

南北朝時代(439年~589年)には、四川省から湖北省、安徽省、江蘇省、浙江省でもお茶が作られるようになり、少しづつ産地も広がり始めます。

そして、広く庶民にも浸透するようになるのは喫茶の風習が生まれた隋の時代(581~618年)頃だと考えられています。

各地に談笑しながらお茶を楽しめる茶館ができ、その後、さまざまなお茶を飲んでその種類を言い当てて勝敗を競う「闘茶」も催されるようになるなど、お茶は嗜好飲料へと変わり、製造技術も発展していきました。

唐の時代(618~907年)には、中国全土でお茶が栽培されるようになり、日常的にお茶を飲む習慣ができます

前出の「茶経」には、製茶や茶の産地、淹れ方、飲み方、茶道具、心得なども紹介されていて、現在ではお茶のバイブルともいえる貴重な資料になっています。

この頃に飲まれていたのは、蒸した茶葉を臼でついて固めて乾燥させた餅茶という固形茶で、丸餅のような形状をしていました。

これを飲むときは、餅茶をあぶって砕いたものを薬研で粉にし、鍋で煮出すのですが、茶葉のほかに塩や葱、棗や薄荷、薑なども加えられたようです。

李白をはじめ多くの詩人、文豪が茶に親しむことで喫茶文化が根付き、お茶の生産と消費が拡大していった時代です。

日本では、最澄をはじめとする遣唐使が唐代805年頃に中国からお茶を持ち帰ったのが始まりとも言われています。

お茶の製造技術の発達

宋の時代(960~1279年)になると、お茶の製造技術が発達してきます。

餅茶の製法がより複雑になり、呼び方が変わって「片茶」や団子状にした「団茶」などと呼称されるようになります。

その飲み方は、茶葉を粉末にして茶碗に入れ、湯を注ぎ竹製の茶筅を用いて攪拌するという、日本の抹茶に近いものだったとされています。

朝廷や上流階級の間では、製造にも淹れるにも手間のかかる「龍凰茶」という団茶が愛飲されていました。

新茶の季節には、闘茶が盛んに行われ、お茶好きの人が増えてきたことを伺い知ることができます。

茶文化の黄金期

明の時代(1368~1644年)には、庶民の楽しむ文化として喫茶が定着しますが、茶のあり方は大きく変遷していきます。

初代皇帝・洪武帝(朱元璋)が、団茶はお茶本来の美味しさを損ない、製造に手間がかかるものだとして団茶禁止令を施工したのです。

それ以降、製茶の主流は、固形茶から挽いて粉状にした「散茶」へ変遷していきます。

またこの頃、お茶と馬で取り引きする「茶馬貿易」が盛んで、お茶が軍事交渉にも用いられるなど重要な役割を持つようになります

晋代から長く続いていた貢茶制度が廃止され、貢茶が茶馬貿易となったことも、散茶の普及に拍車をかけたといわれます。

茶の製造法も、蒸し製茶から釜炒り製法が中心になったことで、香りや水色の濃い「炒青茶」が誕生。

残った団茶にジャスミンなどの花の香りを着香させた「花茶」や、紅茶の製造も開始され、さらに浙江省の西湖龍井茶や安徽省の黄山毛峰などの緑茶も広く周知されるようになるなど、お茶の生産は拡大の途を辿りました。

茶器の文化も発達して、宜興の茶壺が使用され始めるのもこの頃です。

明代末期には、中国茶の最高峰とも言われた希少価値の高い「武夷岩茶」(岩肌に生育する茶樹から作るウーロン茶の一種)が上流階級で人気を博しました。

お茶が発端で戦争が勃発

その一方、ヨーロッパへの茶の輸出が始まったことで、イギリスを中心に紅茶文化が花開きます。

しかし、お茶の貿易取引に銀が用いられたことが、中国茶の発展に影を落とすことになります。

銀での支払いに底がついたイギリスは、植民地だったインドでケシから取れるアヘンを輸出することで、清から銀を引き出そうと目論んだのです。

その思惑通り、銀が大量に流出した清は国家財政が窮乏し、アヘンの吸引が広まった社会は混乱を来し、やがて1839年に清がアヘンの密輸入を厳罰化したことで、翌年のアヘン戦争へ突き進みます。

その後、英仏清露で締結した北京条約(1860年)により、イギリスとドイツが中国茶貿易の実権を握ることとなり、紅茶以外の中国茶の輸出が減少。

生産は下降の一途を辿り、茶園や製造施設は荒廃していきました。

現代のお茶

中国茶の生産が再び活況を呈すのは、中華人民共和国の設立以後のことです。

毛沢東の文化大革命(1966~1976年)によって、「茶は贅沢品」とみなされて栽培制限がかかり、庶民が茶を自由に飲めなくなる時代もありましたが、徐々に台湾で茶の栽培が広がり、青茶の名産地としての基盤を築きます。

ウーロン茶を淹れる中国茶特有の作法「茶芸」も発達し、「東方美人」のような世界で愛される銘茶が誕生するのです。

1980年代には、日本にもウーロン茶が中国茶の代名詞になるほど人気を博すようになります。

そして現代、世界では緑茶、紅茶、ウーロン茶、砂糖を入れたり、ミルクを入れたり、花や香草と混ぜたりと様々な飲み方でお茶は楽しまれています

まとめ

史書によるとお茶は5400年前の中国から始まる

・お茶は最初はとして利用され、のちに飲料として利用されるようになった

・お茶は一部の富裕層しか手にすることができない高級品であった

製造技術の発達に伴い、庶民の喫茶文化に浸透し、爆発的な人気を博す

茶馬貿易と言われ、お茶は軍事交渉にも用いられた

・近世以降、ヨーロッパとの交易が盛んになることで世界に紅茶文化が広がる

現在ではさまざまなお茶がさまざまな形で飲まれている。

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